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観たものきろく

バレーボール観戦記録と、そこからアレコレ妄想しているブログ

責任とはなんであるのか。

「自分の責任で(大きい大会には)行けませんでした」

 

長年ずっと考えているのだけど、果たしてこれは適当な記述なんだろうか。

バレーボールという大会を見るようになって、何度かそういう場面に出くわしたことがある。自分のせいで大会進出を逃してしまった、自分の調子が上がらなかった、ケガをしていた云々かんぬん。そして糾弾へと続く。選手をやめてしまう。もしくはギリギリのところまで煮詰まってしまう。それは視聴者の本位では決してないはずだと思う。少なくとも自分にとってはそうだ。

 

元々の出典が今わからないのだが、こういう記述を見かけた。

責任とは行為に対する論証・説明をすることが本意だろう。」

これを元に考えると、一番上の記述は「大きい大会(たとえばオリンピックとか)」に対する論証や説明が足りていないことになる。清水選手がケガをしたからというだけではオリンピックに行けなかった説明にはなりえない。もっとも、ケガをしてしまうような練習方法があったとしたら、それは遠くではあるが説明になりえそうである。

2008年に予選を通過できたファクターはなんであったのか、そして2012年予選を突破できなかったファクターはなんであったのか、論証や説明をすることのないまま、「あの時行けなかった悔しさを胸に~」とか、「夢は断たれた~」とか、そういうこと「だけ」をマスコミの電波でガンガン流してしまう。論証や説明は内部ではひょっとするとおこなわれているのかもしれない。ただ、視聴者にはそれがわかりにくい。

論証や説明が行われているその可能性を感じながら選手のインタビューを聞くのは、どれくらいの人ができているんだろうか。そして、選手が自分の責任です、で言葉を終わらせる仕掛けが変わるには、何ができるんだろうか。