ある異文化交流に関しての一文
その試合が終わった後、私は対戦相手の国から試合観戦にやってきた人と話す機会を得た。
その人は私にこう聞いた、ように記憶している。
「今日の試合は私たちにとって、素晴らしいものだった。あなたはどうだった?」
その時私はちょっとウソをついた。厳密には彼女にウソはついていないのだが、自分にウソをついた。
「今日あなたたちの国の選手は素晴らしいプレーだった、私はずっとわくわくしてた。本当に興奮した」
間違ってはない。だけど自分が感じた肝心なところを答えることをしなかった。
だからたぶん今もぐるぐるとしているし、それはその後の試合を見ていてもずっとぐるぐるついて回っていた。
確かに私はその相手方のチームを応援していた。直前の親善試合的な大会でも租が見えて、この大事な試合を突破できないのではないかと内心本当にハラハラしていた。これは事実。だから「勝ってよかった」と思った。これも事実。
でも、自分が目を背けてしまった、言えなかったことはこうだった。
「自分たちの国の選手は正直もっとできると思っていた。もっとワクワクする試合になるんじゃないかと思っていた。だけどそうではなかった。試合に対して十分に準備できないままに、あの会場で試合の日を迎えてしまった。それが私は残念なんだ」
そして今、クラクフからやってきた、あの美しい人にまた会えたならこういうと思う。
「私たちの国は、素晴らしい試合をするとか、その試合でベストを尽くす以前の段階で何度もつまづいてしまっています。私はとてもそれが残念です。そしてそれをどうしたらいいのかずっと考えている。でも答えが見つからなくて、今も、苦しい」