或る記録(バレーボールリオ予選に関して)
もう2週間ほどが経過しようとしているが、バレーボールリオデジャネイロオリンピック予選を見に東京まで行った。
目当ては2つあった。
1つ、海外の選手たちのプレーを実際にこの目で見届けたい
1つ、ワールドカップを経て、日本代表がどんな試合をするのかを見たい
もともとチケットをとろうと決めた時点では、2つ目の気持ちが強かった。そして日本代表が戦うであろう海外の選手たちがどんなプレーをしているのかを知りたかった。だから海外戦を見出したという経緯があった。
USAとの親善試合を見た際、私はUSAのプレーにばかり目がいった。それはUSAの方がわくわくするプレーの連続だったからだ。この時点で、OQT突破は厳しいのかもしれないと思い始めた。
結果として、日本代表は突破できなかった。私は海外戦を猛烈に楽しみ、ネットの画面で見ていた海外のスターとの遭遇に心躍り、そして日本戦では泣いてしまった。
泣いた理由は2週間たってやっと整理できてきた。
1つ目、あの会場の中で、あふれる情報量の多さに処理の限界がきた
2つ目、その会場が、選手の高揚感を煽る装置として機能しており、ケガでも強行出場しようとするそんな選手の姿を見ているのがつらかった。
3つ目、自分と周りの考えていることの違い
この辺も別エントリで書こうと思う。とにかく、完璧に負けだった。そのこと自体は別にショックではなかった。
戦術としての不備、選手の有効活用ができていないという件についてはその通りだと思う。あと、日ごろ拝読しているsputnik0829さんのブログでも
今、世界のバレーボールのトレンドは多様性にあると思う。 つまり引き出しの多さと、それらをいかに適切に使うかが問われている。
こだわらないこだわり - Stay Foolish
とあって、賛同した。こういうのもあったのだろう。WCでの(それまでの過去と比較した場合の)成功体験にこだわり、囚われてしまったのかもしれない。
大会から2週間がたち、様々なメディアが今回の試合の総括記事を書き連ねている。そして選手自体のコメントもちらほらではあるが出てきたのも一応読んでいた。
ただ、自分の中にするすると響いたのは、その中でわずかなものであった。
言わされている感、謙虚なようでいて、その実は傲慢なのではないかと思う言葉もある。それは文脈や背景を踏まえる必要があるから、決めつける気はないが、どうも違和感がぬぐえなかった。
この点に関しては別エントリに分けるとして。
今自分の頭の中であるのは、
1つ目、様々な反省材料を述べているにも関わらず、選手選考についての記事がない
2つ目、海外志向に触れている文は多いが、海外の現状についてまで踏み込んでいない(過去にも海外挑戦している選手は大勢いるが、あまり触れていない)
3つ目、現状戦力でどうすれば勝てたかの振り返りがない(将棋なんかである、感想戦が大手メディアからはたいして上がらない)
この3つから考えると、「現状把握してないのかしら」と思っても仕方ないとは思う。そしてその現状把握ができていないのに、その先がうまくいくはずがないと思う。これは、自分の先生からの教えであり、そして、自分が実感したこと。
今、自分の中には、東京で惨敗したら恥、的な気持ちはない。恥ずかしいとかは不思議と思わない。でもそこに駆り出される選手たちを思うと、なんとかしてくれと思う。それは恥ずかしいことになる前にという焦りの気持ちではなくて、願わくば彼らがもてる限りの力を尽くしてぶつかりあう試合を見たいという、祈りなのかもしれない。